土丹という地層
新生代新第三紀という地質時代があり、2303万年前から258万年前までの期間に該当するらしい。
その新第三紀といえば、造山活動が盛んで、緑色凝灰岩(グリーンタフ)が連想されますが、
関東平野の地表面付近の地質では、お目にかかることはないでしょう。
一方、横浜市保土ヶ谷区あたりから、多摩の台地など、広く「土丹」と呼ばれるシルトや粘土が固結した地層が
堆積しており、たしか八王子の河原には露頭があったかと思います。
標準貫入試験では、N値50を超えるので、構造物の支持層にもなります。
一般に、シルトが固結するとシルト岩と呼ばれ、粘土が固結すると泥岩と呼ばれます。
ところが「土丹」は岩というにはあまりに柔らかく、地質学的には、固結した土ということになってるため、
「土丹」という地質用語はなく、土木用語ということになっています。
神奈川県内では、あちこちで見かけるし、仕事で普通に「土丹」といって通用する地質なのに、
地質用語でないといわれてしまうと、なんだか市民権がないみたいで、かわいそうな感じもする。
さて先日のボーリング調査のコア写真。
地表面から深度1.7mくらいまでが、造成時の人口地層、いわゆる「盛土」。
1.7mから3.5mくらいまでが、ぐずぐずになった「土丹」。
3.5mから4.0mが黒い粘土層、難透水層を50cm以上確認したところで、掘止めです。
粘土の上部のぐずぐずの「土丹」は、土砂崩れのようなイベントがあって、粘土のうえに堆積したのではなかろうか、
と、推察するところです。
深度3.4mのところに、緑がかったフレッシュな「土丹」の欠片がありました。
土砂崩れで地層の一部が破損して、粘土の上に独りぼっち、「土丹」への感情移入の件でした。