プ地歴調査 新橋1
SLの展示は、ご存じJR新橋駅です。
1872年10月14日、新橋-横浜間に日本初の鉄道が開業しました。
明治維新からわずか5年、なんというスピード施工。
明治も最初のころなので、法整備などいうものも適当だったはずで、計画、予算取り、着工、運営の整備まで含めて、
おそらく3年くらいでしょうか。
施工はもちろん人力、重機などありません。
富国強兵への猛烈な焦り、その目的達成のためのパワー、想像を絶する。
おそらく、地盤調査とか、構造計算などという事前準備は、おろそかにされたろうし、近隣住民との形成合意、
周辺環境への影響など、そもそも意識がないだろう。
社会が急変する時代にあって、とにかく作らなければならない、という時代の使命感は最優先であり、
きっと予算や経営計画についての検討などは泥縄であったに違いない。
およそ150年後の令和の時代。
オリンピック開催に先立つ2015年、JR蒲田と京急蒲田を接続するという蒲蒲線の計画が発表されたが、区間わずか800m、
徒歩10分程度の路線は、5年を経た2020年現在、計画を検討しているらしい。
大田区の計画発表は1987年というから、現在の日本の社会のインフラ整備がいかに難しいか、というところだ。
さて新橋駅。
汽笛一声新橋を~♪という鉄道唱歌東海道編第一番は有名です。
愛宕の山に入りのこる月を旅路の友として~♪
ということは、新橋駅から愛宕山が見えたのでしょう。
令和の時代にあっては、どんなに目を凝らしても愛宕山を見ることはできませんが、新たな発見がありました。
「東新橋一丁目」の交差点。
汽笛一声どころか、山手線や新幹線がせわしなく走ります。
角には日比谷神社がひっそりと鎮座しています。
新しい発見とはなにか。
新橋駅から見ると、南西にあって、なぜか東新橋一丁目。
そもそも、新橋とは、汐留川に架けられた橋であり、今は埋め立てられて川はありませんが、
新橋駅よりさらに東側200mにその遺構が残されています。
東新橋の謎は深まるばかりです。
新橋周辺の空中写真を追いかけてみることにしました。
続く