プ地歴調査 新橋2 空中写真は語る
銀座と新橋の境、今は埋め立てられて川はありませんが、汐留川に架けられていた複数の橋がありました。
その中のひとつ、新橋駅よりさらに東側200mにあったのが新橋です。
江戸時代、1700年代から橋がありましたが、大正14年にコンクリートの橋になり、現在は遺構が残されています。
昭和11年(1936年)の空中写真がありました、赤丸内に確かに橋があります。
右下に浜離宮、そして有名な新橋の操車場もあって、なかなか興味深いですね。
入手可能な空中写真としては最古でしょう。
出展 国土交通省HP
昭和19年(1944年)、この写真はおそらく米軍の撮影です。
この時点では、首都空襲は本格化されていないようです。
出展 国土交通省HP
戦後間もない昭和21年(1946年)の写真。
まさに焼け野原、この写真を見るだけで、悲惨な歴史が想像されます。
出展 国土交通省HP
昭和22年(1947年)の写真。
新橋には、戦後最大の闇市があったそうですが、さてどこなのか。
街並みの整備も進みつつあるようです。
出展 国土交通省HP
昭和31年(1956年)の写真、もはや戦後ではない、と言われた年です。
新橋はそのまま、操車場もそのままのようです。
築地市場が見知った作りになっています。
出展 国土交通省HP
昭和38年(1963年)の写真、東京オリンピックの前年です。
ついに汐留川が埋め立てられ、なくなっています。
首都高の建設ラッシュの最中、未完成の首都高、そして操車場は健在です。
出展 国土交通省HP
昭和41年(1966年)の写真。
首都高も供用されました、もはや新橋は現況ですが、操車場は健在です。
出展 国土交通省HP
時代は飛んで、令和元年(2019年)の写真。
土壌汚染でもめましたが、築地市場も移転し解体が始まっています。
そして新橋操車場は1986年に廃止され、現在は再開発されています。
出展 国土交通省HP
東新橋1丁目交差点の「?」から、新橋の空中写真をならべましたが、地歴というより、
戦後日本の復興と先人の頑張りをたどったレポートになってしまいました。
プ地歴調査と題しましたが、次回は、もう少し土壌汚染調査につながる記事にしようと思います。